Stay Small | Kunihiro TAKEDA

#32 過去の経験すべてが武器になる

技術コンサルタント、データサイエンティスト、デジタル教育講師。こんな風に私の肩書は仕事によってコロコロ変わる。時には、「元SEさんを連れてきました」と紹介されることもある。これも間違っていない。

要は、過去の20年近くのキャリアで身体にため込んだ経験や知識を、必要な時に、必要な場面で活用して課題解決するのが今の仕事だ。

もちろん、すべてを知っているということはなく、走りながら学んでいることも多い。コンサルタントはその身体にため込んだ技を使ってクライアントに貢献し、またその経験から技を磨き続けなくてはならない。

とはいえ、見込顧客の期待値は、その人が過去に何をやってきたのかという点に向けられるものだ。それは独立してから肌で感じ取ったことの一つ。

今回はこの点について掘り下げてみたい。

過去のどのような経験が今の仕事に役立っているか

独立後の活動で「クライアントの役に立った」と思う経験は次のようなものだ。

改めて言葉にすると正体不明にも見える。ある意味「応用IT関連」という軸でまとめられる気もするし、業界人からすると縦横に散らばりすぎているように感じる人もいるだろう。

ただ、これらの経験には共通点がある。デジタル技術、人材育成、組織課題の解決という3つの要素だ。そして、それらが最も活きるのがHR領域だと思った。ホワイトスペースに見えたからだ。

そこで、LinkedInやWebサイトでは、ピープルアナリティクスを注力領域として「データドリブンHRコンサルタント」と名乗っている。実際、このブランディングは分かりやすいようで、ピープルアナリティクスの相談が増えてきた。これには、独立前の数年間のピープルアナリティクスの実務経験を活かして対応している。

一方、人事以外の仕事もしていて、例えば製造業や金融業、情報通信業などの課題解決を支援することもある。その幅は広く、データ活用・分析のご相談から、データを活用した管理会計の高度化、社内BPR、データマネジメント、自社サービスでのAI活用、DX人材育成関連など様々。これらの仕事には、技術スキル、マネジメント経験、メンタリング力の掛け算で支援している。

また、新規事業や新製品についてアドバイスを求められることもある。大抵データ分析関連かHRテクノロジー関連のお話。この場合は、PdM経験を土台として、研究所での新規製品開発、AI事業立ち上げの経験が活きる。

このように、過去の経験は技術コンサルタントという幅広な仕事に、何らかの形で活かせるのである。それは技術応用やプロジェクト経験だけでなく、人の育成やマネジメントといったソフトスキルも含んでいるし、ちょっとした問題整理の観点までさまざまだ。

失敗したことや苦労した経験こそ活きる

さて、このように過去の経験を活かして仕事をしてきたわけだが、気づいたことが一つあった。それは、成功経験よりも失敗経験の方がアドバイスに役立つという発見だ。

アドバイスしているときに頭に浮かぶのは、成功したときの映像よりも、手痛い失敗をしたときのエピソードが圧倒的に多い。失敗から学ぶことの方が人は多いのである。

たとえば、会社員時代にこのような失敗を経験してきた。もちろん、特定できないように細部を変えている。

SE・PdM

業務アプリケーション製品の開発をやっていたことがある。業務アプリSEとしてキャリアをスタートし、製品開発リーダーとして数年間活動した。現代の言葉でいうと「プロダクトマネジャー(PdM)」である。

市場も製品も急成長していた時期で、チームインしたときから異動するまでの数年間に、ユーザー数が20倍近くになった。法人向けビジネス(BtoB)ということを考えれば、驚くほどの成長スピードだ。

このようにはた目から見ると非常にキラキラしているように見えるのだが、内部事情は非常にシビアだった。常に人も予算も足りない状態。

アプリ品質が追い付かない状況が続き、常に「緊急事態」だった記憶がある。同時多発的にプロジェクトが炎上し、火消し部隊として様々な地域に投下されたことは数知れない。

超特大のアプリケーションバグが見つかり、3徹してギリギリ回避したこともあった。もし間に合わなかったら確実に新聞に載っていただろう。あるいは訴訟に発展していたかもしれない。それほど大きなバグだった。

何より、委託開発の方法論しか整備されていない世の中にあって、手探りでプロダクトの開発やプリセールスをするというのは、大変なことだった。

このように、業務アプリケーションのプロダクト開発経験での苦労は、エンジニアとしてもビジネスパーソンとしても糧になったし、仕事観の土台となっている。

データサイエンティスト

未経験でデータ分析の世界に飛び込んだのは30を過ぎてのことだった。社内公募での異動だったが、「未経験でも可」という言葉の危うさを知ったのは人生で初めてのことだった。

当時はまだデータサイエンティストがセクシーでない頃で、特殊なポジションだった。であるがゆえに人が集まらず、30過ぎの未経験者(社内的にはSE経験者)でも採用されたのだろう。

当然ながらゼロベースでスキルを身につけることになり、分析を回せるようになるまで数年間も七転八倒し続けた。あまりにも分からな過ぎて、睡眠時間を削って勉強や仕事をしていたのだが、やりすぎて倒れたこともある。それでも成果を出せない状態が続いた。

予測タスクで地獄のような予測精度のまま改善につながらず、顧客とプロジェクト責任者の関係が悪くなり、出入り禁止に近い状態になった経験もある。一方、意思決定支援の分析プロジェクトの最終報告会で、先方の上級幹部から「コストをかけて分析するテーマか?考えたの誰だ!」と大炎上したこともあった。

ここにあげていない細かな失敗は星の数ほどもあり、その教訓をEvernoteにまとめていたら相当数になったのを記憶している。その手垢のついた教訓集も、ライブラリや技術の進歩と共に半分近くは不要になった。それでも、データと対峙し価値に変えるプロセスの落とし穴の深さを知るには貴重な経験だったと思う。

技術コンサルティング

第三次AIブームと共に、研究開発系のデータサイエンティストの仕事は「技術コンサルタント」的なポジションに代った。先端技術を元に顧客課題を解決したり、新しい自社事業の種を見つけたりする仕事である。

それまでのじっくりした分析活動と異なり、週に何件ものアポが営業から入って、都内を中心に顧客回りをしていたことがある。その仕事の大半は技術紹介止まりになるのだが、顧客からの要請に応じて課題ヒアリングやアセスメントへ進むこともあった。

あるとき、最優先案件だといわれて半ば強引にアポがとられ、AIの説明を求められたことがあった。しかし、会議室に入ると異常な空気感が支配していた。何でも、自社の他のサービスが炎上しているということで、ひたすら𠮟責される状況になった。AIなんて言ってられない雰囲気であり、なぜ呼ばれたか分からない。もしかすると中和剤だったのかもしれないが、もちろん中和できるはずもなかった。

一方、別の顧客からの依頼を受けて現場ヒアリングをしていたら、現場担当者が資料を叩きけて「何で私が答えなきゃならないんだ」と激怒したこともあった。どうやら顧客組織内のコンセンサスが取れていなかったようだが、その状況を誰一人としてキャッチできていなかった。こうなるとピエロを演じるしかないのだが、営業スマイルも出ないほど疲れた記憶がある。

もうひとつ記憶に残っているエピソードがある。ある企業の情報子会社からのAI相談対応案件。良い感触だったのだが、途中で営業が話をストップさせ「AIの話はさておき、○○の件ですが…」と話が始まった。どうやら親会社とその情報子会社がもめている案件があったらしい。件の営業は、親会社から仲裁を頼まれ、情報子会社のキーマンを引っ張り出すために「AI」を出汁に使ったということがわかった。もちろん、私は一瞬にして空気になり霧散することになった。

このように、大きな組織の「新しい技術部門」は、合理性に欠ける組織間の調整や会社間の緩衝材として使われることもある。その多くが、プロフィットともコストともつかない形で暗黙的に実行される。そして、そもそも人や組織は合理的ではない、という事実をアラフォーにして実感することになったのである。

こうした経験はSEやデータサイエンティストでは経験できなかっただろう。BtoBビジネスや、組織の中で新組織が直面する課題を学ぶ良い機会になった。

新規事業

あるとき、新規プロダクトの企画・開発を担当することになった。この企画に対し、組織内では当該企画に懐疑的な人とそうでない人に分かれており、いろいろと面倒なことになりそうなのは確かだった。

とある上級幹部からは「これは売れるからすぐに製品化してよ」と指示された。一方、別の幹部は「これは俺はやりたくないけど、君だけに任せる。ひとりで頑張ってね」とにっこり笑いながら話していた。私は映像記憶はないのだが、このときの光景は今もよく覚えている。

そこで、自己防衛策として早期投資はしないことと、リーンスタートアップ方式でやらしてほしいと願い出た。研究所時代に携わった新規事業でワークしたので、今回も使いたいと。今では当たり前のやり方だろうが、当時の事業会社ではそうではなかった。それが仕事を受ける条件だといった。もし断られたら会社を辞めるつもりだったが、そうはならなかった。

ということで、あらゆる手を使ってMVPを見込み顧客に見せることに時間を使った。90日で10社、1年間で30社、2年間で50社。伝統的BtoB企業ではなかなかの数字だ。おおむね反応は良好で、判で押したように「これはいい取り組みですね」というコメントをいただけたし、PoCもできた。

それでどうなったのだろう? 結論からいうと1件も売れなかった。まったくのゼロ。誰もお金を払ってまで欲しいという顧客はいなかったのだ。タダであれば使ってもいいよ、と数社から言われたが、費用交渉すると連絡が取れなくなった。

軌道修正を考えていたところで、データ活用に対する世の中の風向きが変わる事件が別の会社で発生した。そして、とある有識者たちに呼び出され、製品化するなと袋叩きに合い、あっけなく終わった。掌はすぐに返るものだ。

この強烈な経験は何物にも代えがたい学びになった。それはプロダクトマネジメントだけでなく、組織内でデータ分析チームを立ち上げるような活動にも活かされている。

ピープルアナリティクスチームのマネジメント

新規事業を畳んだあと、データ分析チームを持つことになった。社内外向けの業務系アナリティクスチームだ。ピープルアナリティクスを中心にデータ分析の仕事をした。プレイヤーからミドルマネジャーへの転換期ということで、いろいろと失敗したことがある。

まずはピープルアナリティクスでの失敗から。他分野でのデータ分析経験を活かせると考えていたのだが、全く雰囲気が異なることに驚いた。プロジェクトで分析テーマを決めようとしても決まらないし、決まる雰囲気がない。「KPIを教えてください」「人事戦略から考えてみませんか」と尋ねるとさらに場が悪くなった。

ある見込顧客からは、「人事課題をあなたと議論するのはちょっと…」と言われたこともある。要は信頼されていなかったということだ。こうした言葉を聞いたのは1度だけではない。

このように、叱責されることはないが、場で浮き続けるという苦しい時期を過ごしたこともある。大いに悩んだが、この問題と対峙することで人事や組織文化について学ぶことができたのは非常に大きい。

この問題と格闘していた頃、もう一つの問題が持ち上がった。それは、チームメンバーを人事分野へ適用することに苦戦していたことだった。なぜなら、私のチームにアサインされたメンバーはピープルアナリティクスの経験も関心もなかったからだ。優秀な分析者が「仕事がつまらない」とこぼしたこともしばしば。ちなみに、こうした事象は、古より様々な事業会社の新設データ分析チーム発生してきたことである。

結局のところ、マネジャーが向き合うのは課題でもビジネスもなく「人」だということを多くの失敗から学ぶこととなった。言い換えると、チームマネジメントをしながら人材育成や組織開発を学んでいたことになる。

クライアントとチームの狭間で学んだ組織文化、人材育成、組織開発。これはピープルアナリティクスやデータドリブンマネジメントを考える上で重要な視点であり、今の様々な仕事に活かされている。

壁を乗り越える過程で武器を手に入れる

先に挙げた失敗事例。今は思い出補正で糧になっているものだが、当時は辛い状況だったのをうっすら覚えている。こうした経験は、会社勤めをしていれば少なからず経験するものだろう。こうした失敗こそ、クライアントを支援するときに役立つ。失敗から必死に学んだことが、問題解決の貴重なナレッジになるからだ。

したがって、その経験は単にアンチパターンとして認識するだけでなく、何らかの形で乗り越えた経験があるとベター。更には、そのナレッジを独自のフレームにできれば、そこが自分自身の強みになる。

フレーム化できたのは、データ分析の問題設定とピープルアナリティクスの進め方。また、データ分析者やユーザー企業のデジタル人材育成も、コンテクストに応じてメニューを考えることができるようになった。

もちろん、手持ちの武器で対応できないものもあるが、それは学びのチャンスであり興味や使命感と重なれば喜んで学ぶ。そうした場面に巡り合うことができるのも、独立の醍醐味だ。

たとえば、独立後に深く学んだことの一つに因果推論の技術がある。これは、データドリブンで意思決定支援をするときの要であるが、独立前は十分に経験していなかった。国内で良書が次々出てきた時期でもあったので、新しい本が出るたびに買って読みつつ、実プロジェクトでも応用していった。

そうしているうちに、因果推論に力点を置いたデータ分析講座の開発を任されることになった、といううれしい話もあった。つかみ取ろうともがいていると、自分のアンテナと縁がつながることもある。

一方、独立後に内製化支援のプロセスコンサルテーション、あるいは、伴走支援の経験を積むことができたのも大きい。これは管理職時代からそれとなく学び、チームメンバーを相手に密かにトライしていたものだが、外部クライアントへのサービスとして展開することができなかったものだ。

内製化に向けた伴走支援は独立後の一つの柱に掲げていたものの、当初は機会を得られず、分析実務支援が中心だった。そのうち、伴走支援の案件がポツポツ入り始めている。また、研修講師の仕事も講師でなく伴走支援を伴う形式に変化してきた。

このように、学びながら走っているのが現状であるが、それが次の仕事の武器につながっていることも実感している。

過去の経験はすべて武器になるのだと思っている。だからこそ、将来独立したいという人は、自分の関心に沿って縦や横に動いてみることをお勧めしたい。

たとえ周囲から「キャリアが散らかっている」と言われても、その経験の組み合わせが、あなただけの価値になる。大事なのは、一貫性ではなく、自分がそこで何をつかみ、それらをどう繋げるかだ。